感情と感性と感覚の違い [感覚編]
んで、最後のシメで
【感覚】
とは、、、
辞書で調べると
①
特定の物理的エネルギーに応答し、脳内におけるシグナルが受容・解釈される決められた部分に一致する、感覚細胞の型を含む一つのシステム。
と言う、肉体への何かアプローチがあって起きるバージョンと
②
美醜やよしあし、相違などを感じとる心の働き。
と言う「心」バージョンの2種。
①は説明するまでも無いけれど、②はまたまた感性にも言いかえれる微妙な語訳、、、もう感性がそもそも微妙な立ち位置過ぎるのが全ての問題のような気がしてくる!!
そうだ、感情と感性と感覚の違い問題が起きたこと自体、すべて感性って日本語の曖昧さが問題なんじゃ(; ̄д ̄)???!
と、自分の理解力の低さから起きてる沼状態にも関わらず、感性さんのせいにしだす。。。スンマセン感性さん。
イカン、、、イカンので今までの3つを並べてみたりして、感性さんのせいにしているしかない現状を取りあえず打破しよう。。。
例えば
1、「日本人の感情では理解しにくい」
2、「日本人の感性では理解しにくい」
3、「日本人の感覚では理解しにくい」
だとすると、
1は、頭では分かってるけれども気持ちが納得できない感。
2は、こちらも気持ちの不納得感は同じだけれども、感情より知的要素が多いと言うか冷静度が高いと言うか、、、
3は、単純に言うと「肌感覚」的なことで直感よりなのかな?
感情はコントロール出来るもので、感性は育てて磨いていけて、感覚は物理的なモノなのかな???と言うのが個人的な感想です。
そして、感情は生身の自分で感性はもっとハイヤーなものってか魂的なもので感覚は肉体的なモノに属していると言うか、、、
なんか、ワカランすぎて無理にまとめた感はあるけど、そんな感じ!!
前回の沼にはまってしまった感から1ヶ月経ったにも関わらず、相変わらず掘れば掘るほど分からなくなってきてるのは否めません感が満ちておるけれども、
「感X」だから当然なんだけど全部脳みそ使ってる判断では無いのね、、、ってのは分かった。
総括してみると、「感」の付くものだけで何かを決定するのはダメ!ってコトかな。
陰と陽、雄と雌みたいに「感」は「論」とセットで一個にしておかないと安定感が悪すぎて危険。
蛇足ですが一番最初の[感情編]で書いた六情は喜・怒・哀・楽・愛・憎の六つの感情なのだけれど、浄土真宗では六情根(六根)ってのがあって、六根は眼根(視覚)耳根(聴覚)鼻根(嗅覚)舌根(味覚)身根(触覚)意根(意識)って、日常に使ってる五感+意識で、なぜに日本は両方六個にまとめたのかも不思議、、、
自然界は蜂の巣や雪の結晶に見られるように六角形が多いし、正六角形を組み合わせたハニカム構造は構造的に一番強いらしく、アルミの約半分の軽さ、鉄の100倍の強度、ダイヤモンドの2倍の硬さと言う、新素材のカーボンナノチューブもハニカム構造やしなぁ、、、
とか、まとめれない情報が脳みその中溢れ出しとる。。。
語釈についても、色々考えてたら「言葉」とはなんぞや、、、とかになっていき、聖書の一行目「はじめに言葉ありき」にブチあたったのだけれど、これも調べていったら、原典では
「Ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ λόγος」(はじめにロゴスありき)
となっていて、ロゴスの意味って
言葉、言語、話、真理、真実、理性、 概念、意味、論理、説明、理由、定義、理論、思想、議論、論証、言表、発言、説教、教義、演説、質問、伝達、文字、文、口、声、名声、理法(法則)、原因、根拠、秩序、原理、自然、物質、本性、神、運命、熱意、計算、比例、尺度、比率、類比、算定、考慮などの意味。
なんですとな。
う===ん。
謎が謎を呼ぶばかり、、、
結局のところ、釣りをした事がない私がいきなり鯨つりに行ったぐらいの無謀なスケールだったというコトは分かった!!