追悼:さくら ももこさん
「生活の波に飲み込まれない」ってのが、この夏の目標だったのに
子供たちの夏休みの生活にどっぷり飲み込まれ、全く自分の人生を生きれず
7、8月を過ごしてしまった。。。|li(* =д=)il||
家族でいる時間って、
幸せですか?って聞かれたら幸せなのだと思う。
無為ですか?って聞かれたら無為だと思う。
でも、無為って「自然のままで、作為的でないこと」だと辞書では書いているけど、老子の言っていた本当の意味は
『何もしないのではなく精一杯の努力をし、
あとは天地自然の宇宙の原理や変化を
そのまま受け入れる
私たちこの小さな命を
無為自然の宇宙に委ねて生きる
そして、この宇宙に命をいただいている
ということを、もっと大切に
日々を楽しく精一杯過ごすこと』
だそうなので、その考えで当てはめると全く正反対の生活だった。
精一杯の努力なんてしていなかったし、時間を大切にしていなかったと思う。
自分の成長の為に時間なんて割かなかったし、子どもの事に時間が取られまくって疲れて、ただ時間が過ぎて夏休みが終われば良いのにと思っていた。
そんな時間の使い方どうなのさ!!!!!
あぁ、ブログも全然書いてない。。。
って寝る前に思っても、次の日には気付けば目の前の生活に飲み込まれてる。その繰り返しの日々。
やっぱり、ブログを書けている=脳ミソが何かしら動いてる証拠で、それはバロメーターなので書けてなかったこの2ヶ月は脳ミソ動いて無かったねんなぁと思う。
つくづく環境に染まりやすい自分を発見し、反省。
そんな中、さくらさんの訃報を聞いて、、、
ちびまるこちゃんは小学生の頃に普通に見ていた程度だけれど
さくらさんのエッセイは多分全部読んでいると思うし、あの独特の世界観が大好きだった。
私は向き合って、尽くして、いっぱいお世話をしてあげてってタイプの母親ではないので、さくらさんの
って考え方にすごく共感したし、すごく勇気を貰ったりもした。
さくらさんがイラスト書いてる「アミ小さな宇宙人」もすごく衝撃を受けた。
コジコジも、ちゃんと読んでないけどすごいと尊敬してる。
これとか本当に真理だと思う。
生まれたときから死ぬまで、身体のサイズは変わっても、住む場所が変わっても、着る服が変わっても、ずっと自分は自分なのに。
それをすっかり忘れてしまって、何か違うより良いものを目指して走る。
自分の内側を見ずに外ばかりのキラキラしたものばっかりを求めてひた走る。
さくらさんは、それを偉そうでなく、お説教臭くなく、パッと見せてくれた。
人が死ぬと、それも若くて才能もあってお金もあった人が死ぬと、どうしてもその不条理さに悲しくなる。
いや、死んだ事ないから知らないだけで、死んだらパラダイスかも知れ無いんやけど!!
将来の夢をこう書いてたさくらさんが
お孫さんのお顔を見ることなく亡くなってしまった事は本当に悲しい。
それと同時に、私も老後に抱いてる夢が結構あるので危険を感じた。
その「老後」が来る確証なんて無いのだと、
いつまでも生きれるつもりで毎日生きてるけど、「今の時間だけ我慢して過ぎさらしていれば」と思っているけれど、時間は無限にあるのもではないのだと、
このブログを書き始めたきっかけでもある
いつか死ぬんやって事実を、ほとんどの時間忘れて生きてる事に対する悔やみをまたまた忘れて、
夏休みがただ終わってくれる日に向かって走ってた自分に猛烈に叱咤。
今日やれる事を精一杯やろう。
こう言える人になりたいと、心から思う。
ご冥福をお祈りします。